読書記:飯田史彦著「生きがいの創造」

ある休日の雨の日、特にやることもなかったので、家族で「休日の昼下がりにゆったり時間が流れるようなおしゃれなカフェ」を探した。
行ったのは緑に囲まれた住宅街にある小さなカフェ。マクロビの料理を出してくれる自然派なお店。
そこに雑誌やらに混じってポツンとおいてあった本が、この「生きがいの創造」。
なぜか目に飛び込んできて、そのコーヒーを飲みながら冒頭30頁くらいを読んだ。そして気になって図書館で借りて最後まで読み終えたところ。
読み終えて思うのは、きっとこの本に出会ったのも自分が選んだことなんだろう、ということ。
自分は小さい頃から「死」というものが強烈に怖い。
子供の頃からいずれ人間は死ぬことを怯えているのも変な話だが、山口百恵ファンだった姉がよく観ていた「赤いシリーズ」を幼な心に一緒に観ていたのが原因で。。。死についての恐怖の意識が植え付いていた。
そして、近い将来に、大好きな祖母が死を迎える。
祖母と離れ離れになる寂しさ、そして祖母本人が死に対して今何を感じているのか、ということ考える辛さが、最近のもやもやした気持ちの大部分を占めてるのもあって、この本と出会えたのは良かった。
この本は、
「死後の生命」「生まれ変わり」について、主に退行催眠での被験者の発言をもとにした科学的な実証を紹介しながら、その仮説を信じることによる人生観や価値観についての前向きな変化を「生きがい論」として提示したものだ。
まずもって、自分はかなりポジティブに受け取った。
なにより、今までは「死んだ後は意識がなくなり、肉体も灰になるだけ」と思っていたのに、まったく新しい世界を見せてくれて、何より死に対する恐怖が少し和らいだのだ。
「死」とはただ肉体という衣服を着替えるだけのこと。
次にどんな衣服を着るかは自分で選択できること。
先だった懐かしい人との再会が待っていること。
この世で離ればなれになる家族とはまた会えること。
そんな言葉を読んで、100%信望するというわけではないが、これは信じてみたほうが人生が豊になると感じた。
その上で、だからこそ今この人生を、どう生きようかと。
著者も再三書いているが、死後の世界や生まれ変わりの存在を信じることを強制しているわけではない。
「死んでみないと分からない」、つまり100%実証できないことを前提として、どうせ本当かどうか分からないんだから信じてみたほうが心豊かに生きられる、つまり信じるほうが理にかなった選択だ、と記している。
例えば好きな女性がいたとして、彼女も自分のことがきっと好きだ、と信じ込むとする。
信じることは良いことだが、好きかどうかを実証することは可能だし、もし好きじゃなかったらリスクは大きい。
でも、「死後の世界」「生まれ変わり」の存在は実証できないし、ノーリスクだ。
なぜなら、死んでみて仮に死後の世界がなかったとしても、「やっぱり無かった・・・。」と残念がることさえ出来ないんだから。だったら、信じることで心豊かに生きられるなら、そうほうが良い。
この本で自分が興味をもったのは、自分が死んでからの話より、
自分はなぜ生まれてきたか、という視点。
「この世」と「この世」の生まれ変わりの間にある、いわゆる「あの世」において人間は自らのこれまでを振り返り、次の人生において解決すべき課題を決める。
生まれ変わりが本当なら、この人生は、「あらかじめ自分が決めた問題集を解くこと」なのだ。
自分は残念ながら生まれる前の記憶が無いから。。。この世に生きるミッションを掴めずにいるが、
身の回りに起きていること、人との出会い、すべて必然なのだろう。そしてその必然は自分が決めたことである。
この先も、願えば叶うのだ。
そして、あえて「この世」に肉体を持って生きるからこそ可能な自己成長は、自分の気持ちを相手に伝えること、相手の気持ちを思いやること、つまり「人間関係」だ、と記されている。
そして、「この世」での問題集は自分一人で解くものではなく、この世において家族や友人など身の回りの近い存在の人たちが「ソウルメイト」として、何度も人生をともにして、お互いを高め合っている。
あらためて考えてみると、
今こうやって「自分」という意識が存在し、この世に生を受けていること自体が奇跡に思えてくる。
そう考えると物質の無いあの世の世界の存在や生まれ変わりも、やはりあり得ない話ではないなあ、と思ってしまう。

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