読書記:佐々木俊尚著「電子書籍の衝撃」

佐々木俊尚さん5冊目は、最新刊。(かな?)
読んでる途中、ふと、学生の時にはじめて「ヴィレッジヴァンガード」に足を踏み入れた時のことを思い出した。
結構衝撃的だったなあ。興奮したわあ。
なんかヴィレヴァンに、「自分がいい感じの大人になってく階段」が見えたのよ。
普通の本屋なら、新潮文庫、講談社文庫、角川文庫と、出版社別の棚が並んでるのが当たり前なのに、
ヴィレヴァンは村上春樹は村上春樹で並んでる!
新潮文庫の「世界の終り・・・」も、講談社文庫の「羊をめぐる・・・」も、ハードカバーの「カンガルー日和」も。。。
当然本棚に並ぶ本はサイズもバラバラ、家の本棚みたい。
でもこれって、、、こっちのほうが普通じゃん!って。
広告の本、建築の本、インドの本、エロの本・・・決して出版社都合でなく、ヴィレヴァンの店長が選んでくれた、本ソムリエ珠玉の本が並んでる本屋。
そこには、世界観があり、文脈がある。
なんか、ヴィレバヴァンの世界すべてが好きになった。
ああ、ここにある本を順番に読んでいけばいいんだなあって。
さて、この本は
電子書籍が台頭します。そうしますと、↑こういう本屋はまだしも、「普通の本屋」はその存在意義が無くなります。(ネット通販の影響ですでにヤバいけど)
さらに出版業界が抱える再販制をはじめとした構造的な問題は、電子書籍によりさらに深刻化します。
でもね、だからって出版業界は終わりです!っていう話じゃなくて、未来はきっとありそうです!
そういうお話でした。
ITの進展で「何でも中抜き時代」という、我々広告業界も黙ってみてられない状況の中で、じゃあ、仲介・取次・代理業はどんな価値を提供してけば良いの??という視点で読んでみた。
電子書籍の普及により、いままで「本」と呼ばれていたものは、実はカタチのないものだと気づいた。
本って、いっちゃえば「長い文章」のことだよね。
決して「背が糊づけされた紙の束」という物体のことではない。
でも、今まで僕らが本に支払っていたお金は、実は文章代よりも物体代(紙・印刷・物流・中間マージン)のほうが多かったのかもしれないなあ。
音楽が、「CD」というカタチから、徐々にそのカタチが無くなっていき、iTunesをプラットフォームにしたiPodやPCやケータイから聴くものに変化しように、
本も媒体のカタチが多様化し、どこでも買えて、どんな持ち運び方も出来て、どこでも読める、そんな「アンビエント」な存在になる。
そうすると、ベストセラー作家も素人の自費出版も、昔の小説も最新ケータイ小説も、差がなくなる。
音楽業界ではそんな現象がもう起きている。マスサイズのベストセラーは登場しなくなり、マイクロ化が進む。
だからこそ、僕らには読みたい文章、読んだほうが良い文章の「道しるべ」が必要になる。
いってみれば現代版のヴィレヴァン。

いわゆる「普通の本屋」では、その役割は担えない。
ネームバリュー偏重のベストセラーや、同じような自己啓発本ばかりが山積みされてるだけじゃダメ。
著者は、道しるべの役割を担うのは、「ソーシャルメディア」が生みだすマイクロインフルエンサー(自分が良いと思える情報をコンスタントに提供してくれる、身近な人)の存在だと。
そういうことだ!
どういうことだ?
さあ、僕ら取次屋は中抜きされないように、どうすりゃいいんだ?
永遠のテーマ。。。エターナル。

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