古市憲寿著「絶望の国の幸福な若者たち」

読後感は、なんとも自分の中でも賛否両論な感じ。
最近、やたら露出が多い若手社会学者?なので、ちょっとうがった読み方してたからかな。
独特な柔らかい語り口はちょっと気に入らないな。まあ、それはいいや。
今、この文章はスタバで打っている。
まわりには大学生の「若者」がいっぱい。みんな楽しそうに喋ってるよ。
しっかりした若者だっていっぱいいるし。
明らかに一番幸せに見えないのは自分だわ。。。
ていうか未だに自分は若者だと思ってるし、今の20代前半の人ともそんなに感覚変わんないんじゃねえの、って思ってるんだけど。
「若者」って何?何歳から何歳まで?っていう話はおいといて、
データ上は、今の若者は「今が幸せ」と思っている人が多い、とのこと。
それは、あまりに将来が不安で見えないからこそ、「今は幸せ」ってことだし、
「若者世代」間の格差が少ないから相対的な不公平感や不幸を感じづらい、っていうこと。
明るい未来像が描きづらいから、「くそ~、きっといつかは!」みたいな未来の巨匠的な下積み時代じゃないのね。
なんとなくな今の幸せ、そして将来への不安。これは若者だけの意識じゃないよね。
著者も一億総「若者化」といってる。
最初は、ん?と思ったけど、じわじわ共感。オトナに成り切れないというか、いつまでも頂上の見えない坂の途中、というか。
さらには今後さらに拡大する世代間格差をして「若者の二級市民化」といってる。
中国の都市の農民工が貧困な暮らしをしていても意外と幸福度が高く、
逆に多くが高学歴だが職が足りずブルーカラー職についている階級市民の幸福度があまりに低いという話と
同様に、
「それなりの幸せ」の中で生きている「若者階級」の貧困な幸せだ。(実際は貧困ではないと思うが)
自分が20代の頃に想像した「将来の自分」は、明らかに別世界の人物を思い描いていた。
けれども、今39歳の自分にとって、将来(今更将来と言っていいか分からんが)の自分をイメージするとき、
そこに居るのは「今の延長線上の自分」だ。
家族のこと、仕事のこと、自分の健康のこと、すべてが延長線上で見通せてくる。
「若者」との違いはやっぱこの意識なのかな。
若者は、先行きは暗いけど、まったく今とは違う世界が訪れるっていう期待と不安がある。だからこそ、
今の「居心地のよいなんとなく幸せ感」が引き立つんだろう。
という意味では、今も昔も「若者」はずっと幸せだんだよ、たぶん。

絶望の国の幸福な若者たち
講談社
古市 憲寿
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