平田オリザ著「わかりあえることから」

読書ってやっぱりいいな、と感じられる、とっても読後感の爽やかな良い本に出会った。
「コミュニケーション」という複雑で混沌として得体の知れない雲のようなものを、すっきりかき分けて見通しよくさせてくれた。
息子が通う「きのくにこどもの村学園・かつやまこどもの村小学校」(←長い)では、
中学校になると演劇のクラスを選べる。
なんで演劇なんだろ~、どんな効果があるんかなあ~と漠然と疑問だった。
まあ、お芝居という媒介を通じて、例えばその舞台となる時代や国の歴史・文化などを勉強できるんだろうなあ、と。
でも、この本を読んでそれだけじゃないんだ、と分かった。すっげーいいじゃん演劇っ!となった。
演劇とは、短期留学するようなものだ。
異文化の疑似体験。
自分を主体にし、自分と演じる他者との相違点を意識し、世間と折り合いを付ける術を学んでいく。
それは決して、文化・価値観の異なる人たちと、「分かり合うため」のコミュニケーションという観点ではなく、
はなっから、「わかりあえない」ことを前提にして、その中でどうにか共有できる部分を見つけて、うまく折り合いをつけてうまくやっていく。
それこそ、今の社会に必要な本当のコミュニケーション力。それは協調性というより「社交性」。アーサーティブ。
平田オリザさん、演劇というアプローチで、何十年もコミュニケーション教育の現場をつとめているからこその視点。
決して最近のコドモのコミュニケーション能力が低下しているわけではない。
どちらかというとコミュニケーション意欲が低下している。表現する機会がない。
欧米と異なる閉鎖的なムラ社会が根底にあるため、あうんの呼吸の文化が根付いているし、
最近の家庭では、「ケーキ!」「ティッシュ!」など単語で簡潔する習慣がコドモに着いてしまっている。
一方で、社会に出てから要求されるコミュニケーション能力は急速に高まっているし多様化している。
そのため表現教育に力が入れられているが、
伝えたいという状況にならないと伝えない。コミュニケーションを経験する状況にならない。
どうしたら、伝えたい、と思うか。
それは「伝わらない」という経験をすること。
しかしそう簡単に海外に言ったり異文化を経験できるわけではない。
そこで演劇の役割がある。
でも、外国人よりも、同じ日本人でバックボーンが違う人との「微妙なズレ」のほうがコミュニケーション不全が発生しやすい、という。
それも、ものすごく納得。

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