自分は、
リーダータイプではなく、
どちらかというと、
というより、思いっきり、
「フォロワータイプ」。
人が決めてくれたことに合わせるほうが楽。
そのレールに乗っかり、その人の選択が正しかったことになるよう、
うまく整えていくのが好きだし、得意。
とはいいつつ、
小さい頃は、ずっと学級委員やってたり、
生徒会やったり、部活の主将をやったり、
チームをまとめる役割をするのは、
嫌いではない、と思う。
自分以外にリーダー役に向いた人がその場に居る時は、
ダチョウ倶楽部ばりに、とたんにその役目を譲るが、
誰も仕切る人が居なくて、場の雰囲気が淀む時は、
居ても立っても居られなくなる。
たぶん、自分の特性は、
「まとめることや仕切ることが好き」、なのではなく、
今いる場、空間、コミュニティが、
「心地よい状態であることにこだわる」、
そんな性格なんだと思う。
誰に対しても危害を加えたくないし、
誰からも危害を加えられたくない。
とにかく協調性を重んじる性格なのだ。
誰かが心地よく仕切ってくれているのであれば、
まったく自分の出る幕はない。
それは長所でもあり、超決定的な短所でもある。
ともすれば、ビジネス上の成果よりも、
その場の空気や人間関係や感情を優先する。
自分のストレングスファインダー
それはそれは、
典型的な日本のサラリーマンを自認してます。
非サイコパス。
まだ自認出来ているだけ救いがある、と自分でも思う。
さて、
そんな自分も、年を重ねると、
職場でも、それなりのポジションになってくる。
周りを見渡すと、そして世の中的にも、
素晴らしいリーダーはいっぱいいる。
でも、あーは成れない。
自分の特性はどうあがいても変えられない。
だから、従来型の理想的なリーダー資質をひとつも
持っていない自分だからこそ、
自分の特性を弱みではなく無理矢理強みにして、
自分らしいリーダー像を自分で作っていきたい
と思っているし、
そのプロセスを楽しみたい、と思っている。
わくわくしている。
そんな視点で、この本を読んで得たヒント3つ。
①「無敵」主義
最初から敵など居ない、と考えば、
ウザがられる、嫌われる、という意識からの解放される
②「自ら」動けば、「自ず」と人を引き寄せる。
協力者が欲しいなら、誰よりも考え、誰よりも行動しよう。
速く行きたいなら一人で行くがよい。遠くへ行きたいなら皆んなで行け。
③「すべき」ではなく、「したい」を大切にする。
正解にこだわるな、とりあえず自分が回答を出すことにこだわれ。
自分がどんなリーダーを目指そうが、
リーダーとは、
生き方や働き方のハンドルを
自分で握っている人のこと。
リーダーをリーダーたらしめるのは、
ただひとつ、リーダーシップを発揮していること。
つまり、結果的に周囲を「リード」していること。
けれど、その手法は問わない。