MaaSに対する理解が足りてなかった。誤解していた。
誤解その1、Mobilityという単語の定義
モビリティ=可動性、移動性。
自由に移動できる能力。
決して、乗り物、という意味ではない。
だから、マイカー保有から、シェアリングに大きく変化すること自体はMaaS一部の変化であり、それ自体はMaaSの本質ではない。
誤解その2、Maasはあくまで「手段」である
ここは誤解というか、理解が足りてなかった部分。
MaaSとは、複数の交通手段が情報面や支払い面でも統合され、より一層の移動の自由を手に入れること。
「移動の自由」という手段が革命的に変化するならば、その移動の先には「目的」側の産業こそ大変化する。
飲食やら、働く場所やら、不動産やら人が集まる施設やら、ほぼすべての産業に影響を及ぼす。
つまり、MaaSは移動産業の変革だと閉じて考えるのではなく、すべての産業を視野に入れた「Beyond Maas」の世界を思い描くべき。
その昔、明治村、リトルワールド、ビーチランドなど、名鉄の利用促進のために、路線の終着地に観光施設ができたように。
移動手段+目的がセットとなった変化を見なきゃいけないね。
車でしか行けないような山奥にオシャレなバーとかが出来て、気軽にお酒飲める世の中になると良いなー、とか、
そんなレベルでも、いろいろ新たなニーズや課題は出てきそう。
この感覚がようやく理解できた。
あと興味深かったのは、
MaaSの概念がはじめに台頭した国はフィンランド。
なぜなら自国に自動車産業や油田がないから。
つまり国民が費やす自動車購入コスト・保有コストが、海外に流れている。
それを食い止めるためにはMaaSを発展させれば自国にお金が落ちるから、という単純な作戦。要はマイカー社会からの脱却。
そういう意味では、東京とか、車保有のメリットが薄い地域では、フィンランドが目指す社会に近いところまで実現しちゃってるのでは。
ちょっと歩けば駅あるし、タクシーばかばか走ってるし(高いけど)、電車の待ち時間は気にならないレベルで本数多いし。
あとはこれら手段の経路情報や支払いが統合されれば、まさしくMaaSだが、情報はgoogleMapあるわけだし、支払いはほぼSuica使えるし、、、
東京ってMaaS社会じゃん!
そもそもタクシーって、利用する立場からすれば、自動運転だし!
一方で、日本の地方は別世界。
車依存度が高い。
思うのは、地方には、
「車しか移動手段がない」という制約上の依存度と、それがゆえに、「たった100mの隣の家に行くにも車を使う」という、精神的な依存度もあるように思う。
だから交通弱者の地方高齢者はほんと大変。
こうした地方の足の問題は、MaaS(移動手段の統合)以前の問題。
交通弱者対策の、自治体のコミュニティバスや乗合タクシーと言った行政サービスは税金負担の限界だし、本数にも限界あるから自動車同様の利便性は提供できていない。
マイカー配車を道路運送法改正で解禁するしかない。
こうした先進課題も多い日本は、MaaSという領域で考えれば、「希望の星」。
なぜなら、GAFAが個人データを制した。
中国は国家として鎖国しBATを生んだ。
一方で日本は呑気に構えていた。
だがこの移動データ領域は、まだ手付かず。
逆に、いまから育てられる。
国家レベルの行政主導が〇必だけど、自動車産業だけでない大きな社会変化を提示して、動いていくといいな。