自分らしいマネージャー像ってどんなだろう?と日々模索中である。
そんな中、会社における上司と部下の関係の本質論を知りたくて、1967年発刊のこの本を手に取る。
現代にも通用する本質的な本!とamazonが教えてくれたので。
さて、振り返れば、自分が一番成長したなあと思う時期は、「頼りない上司」の下で働いた時だ。
同時にその時は30代前半で目の前の仕事が忙しく、上司が視野に入っていなかった時期でもある。
でも、あらためて考えると、
「頼りない上司」は、部下を(あえて)頼りにしてくれていたのであり、
全面的な温情を受けた自分は、バリバリと前向きに働けていたのだろう。
今思えば本当に最高に頼りない、そして最高の上司である。
この自分の経験同様、
「『温情と依存』によってタテに繋がったエモーショナルな関係」
これこそが日本の社会構造である、という。
まず、集団には「資格」と「場」がある。
資格とは職業や性別などの分類であり、「場」は会社や家族などの所属を意味する。
日本では極めて「場」が重視される。それは、日本で古くから続くイエ社会が起源とされる。
さて、「場」という集団の帰属意識を高めるためには、どうすればよいか?
つまり、「場」の中には多様な「資格」の構成員がいる中で、どう連帯感持たせるか。
それには2つの方法があって、
資格という理性的分類を超える「感情的アプローチ」と、
その場の集団組織をさらに「内部組織として細かく作る」
の2つ
これこそが日本企業の特徴。
タテの繋がりが緊密であるため、
ヨコ(他部署)の調整が極めて難しいのは
この日本企業の特徴だったりする。これは今もほんと変わらない。
あと、こうした集団におけるリーダーのあり方について。
「温情と依存」によってタテに繋がったエモーショナルな関係
これは上司と部下との関係そのもの。
日本企業の特徴として、
人間関係を調整して和を保ち、部下をやる気にさせるのが
リーダーの役割である。(時として論理よりも感情が優先される)
また、部下からの突き上げにさらされている直属の幹部同士を
調整するのが組織の長の役割であり、
その調整に多くのパワーを使うことになる
そういう意味でリーダーは大きな制約を受けている
組織の目的の追求以上に調整にパワーを費やすから。
従ってリーダーは本人の能力よりも人間性が重要だったりする。
戦時中だとしたら、あの人のために死ねる!と部下に思ってもらえる力があるかどうか。
仕事が出来すぎると、部下の存在理由が減少する。
上司と部下は依存関係にあるのだから。
昔の私の上司のように、上司も部下に依存(あえて頼る)せねばならない。
仕事の出来よりも、部下への理解力・包容力を高めることが
日本的リーダーの条件なんだと。
けれど、現代では欧米スタイルに変化してきているし、
仕事や会社に対する価値観も変わっているからなー、と感じる。
ただ、欧米的な能力主義や論理的判断が浸透しているならば、
本来はもっと日本の序列主義が後退していなければならないが、
実際はそうではない。確かに。
日本のタテ文化が社会構造として根強いことを証明している
この本、発刊からかなりの年月が経っているけれど、
日本企業の本質をあらためて理解できる。