山口周著「ニュータイプの時代」


きっかけは忘れたが、
ほろ良い気分でついついamazonぽちって買ってしまった本。

最近のベストセラー著者だが、この本はやや腑に落ちず。
主張は理解できるけど、業界や立場や環境により一概に言えないことも多く、やや強引な論調で根拠が曖昧な感もあり。。。

と言ってポチッたものは仕方ないので、元を取るべく、
超オールドタイプな自分が、どうニュータイプの良いところを取り入れ、また、どう周囲のニュータイプ人間と付き合っていくかという視点で読み進めた。

正解を探す時代から問題を探す時代へ、はまさにその通り。
仕事でも超実感する。往々にしてクライアントは解答ではなく課題を求めている。プレゼン企画書よりもオリエン書を作って欲しいと要望してくる。

ただ個人レベルでどこまでニュータイプで居られるかは、環境に拠るなあ。
主張は分かるが、とはいえ現実はバリオールドじゃなきゃ話にならない面もある。
前提となる社会構造が変われば、そりゃあビジネスマンのありようも180度変わるんだろうけど、まだそんなに構造変わってない。

「オールドタイプ」から「ニュータイプ」へ

・「正解を探す」→「問題を探す」
・「予測する」→「構想する」
・「KPIで管理する」→「意味を与える」
・「生産性を上げる」→「遊びを盛り込む」
・「ルールに従う」→「自らの道徳観に従う」
・「一つの組織に留まる」→「組織間を越境する」
・「綿密に計画し実行する」→「とりあえず試す」
・「奪い、独占する」→「与え、共有する」
・「やり方を教える」→「やる理由でモチベートする」
・「経験に頼る」→「学習能力に頼る」

ビジネスの本質は「問題を解決すること」だが、
現代はその「問題」が減ってしまい、
逆に「解決」が過剰となりコモディティ化してしている。

したがって問題解決よりも、問題自体を発見する、
「課題設定者=アジェンダシェイパー」のほうが価値を生む時代になっている。

問題が減ってしまった理由は、
世の中から問題点自体が少なくなったのではなく、
問題=ありたき姿と現状のギャップと捉えるならば、
そのありたき姿の構想力自体が衰えている、から。

構想力が衰えている理由は、
企業の経営層やマネジメントまでが問題解決に躍起になっていて、
大事な問題発見を疎かにしているから。(オールドタイプだから)

これまではありたき姿は欧米から仕入れてきたから構想する必要がなかった。
しかし失われた30年を経て、社会構造も変化し、
さてさて我々はどこへ向かおうか?何をありたき姿としようか?
という構想をせねばなのに、していない。イマココ。

その構想力は、サイエンス(科学、論理)ではなく、
リベラルアーツ(哲学、文学、歴史)でしか発想できない。

リベラルアーツとは、
局所的な常識に縛られず、普遍的真理のもとで、
目の前の常識を相対化するリテラシーを持つこと。

信じていい常識と疑うべき常識の選球眼を持つのがリベラルアーツの役割。
全部疑っていたらキリがないから。

要するに〇〇でしよ、と話をまとめるのは、
自分の既知フレームに当てはめただけの最も浅い知識。

環境変化が速い時代、「経験」はすぐに不良債権化する。
自己経験はアンラーンせねばならない。