楠木健/山口周著「『仕事ができる』とはどういうことか?」



この類のビジネス本には手を出さないつもりだったのだが、ついポチってしまった。楠木健さんと山口周さんという名前を見て、つい。。。

なぜ自分はこの類の本にはもう手を出さないと思っていても、つい手を出してしまうのか。

せっかくなので、まずは、自分はなぜビジネス本にはもう手を出さないと思っているのか、そこから整理して考えてみよう。理由は2つくらいありそう。

ひとつは、得られることが「もう」少ないから。
30代中盤の頃、猛烈にビジネス書を読んだ時期があって、その時期は読書によって新しく得られる情報も多くて仕事に活かせた感覚があった。極めて費用対効果、時間対効果の高い読書だった。今は、結局書いてあることに既視感を感じたり、得られる新しい情報が少ないように感じている。

もうひとつは、もっと自分の知識の幅が雑学的に広がる本を読んでいきたいと思っているから。
ビジネス書や自己啓発本は、生きる上で、あるいは仕事をする上でのOSをバージョンアップさせる感覚なのだが、今はもう、そのOSのバージョンアップには限界と半ば諦めを感じている。それよりは、もっと幅広い知識、まだ知らない世界を知りたいという思いのほうが強くなってきたから。それは趣味の世界でも、何でも、その時々の興味の向くままに。

この2つの理由から、昔は大好きだった自己啓発的ビジネス書からは距離を置きたいと思うようになったのだ。

けれど山口周さんの本は読んでいて単純に楽しいので、つい手にとってしまう。だからまあ、仕方ない。

で、この一冊はスキルよりもセンスが大事な時代だよ、という話。

 

自分は自分で言うのもなんだがセンスだけで何とか仕事をしてきた。何とも自己認識しづらい、得体の知れない、再現性のない、言語化しづらい能力がある気がしている。ただ、決してセンスを鍛えよう、と意識してきたわけではない。

センスとは、決して先天的な能力ではないと思う。
かといってどんな能力を鍛えればセンスが高まるのか、といった再現性が乏しいのが厄介だ。結果的にセンスが高まっている、ようなもの。

マーケティングや広告効果の測定と同じで、いくら要素を分解しても結局のところ何が要因でモノが売れたのか、厳密に分かりづらいようなもの。

以下、印象に残ったフレーズ

・どこで仕事をするかの「土俵感」
・センスとは抽象化と具体化の往復運動
箇条書きでものごとを考える限界。戦略には時系列がある
思考の構造に時間軸の奥行きがある「それでだ」おじさんが理想
スキルはプロキシを誘発。成果に繋がらない「仕事をやった感」だけが蓄積される
仕事とは売上を上げるか、コストを下げるか、そのどちらかに繋がっているべき