とある知り合いに、大野智の熱烈なファンの方がいて、
じっくり話を聞いた。素敵な話だった。
確かに、歌、ダンス、全部うまい。それは知ってる。
でも、なんで嵐のメンバーに入れたん?
という、きっと同じ疑問を多くの人が思ってるであろう
質問をぶつけてみた。
そしたら、思いもよらぬ大野くんワールドが存在していた。
「お金を払わないと、大野君の魅力は分からない。」
つまり、テレビでは大野君の魅力は分からないし、
大野君自身もテレビに興味は無い。
らしい。
大野君は自分にしか興味がない。
もし自由になるなら、ダンスとかの練習してたい。
ただ、他の4人のことが好きだから、仕方なくテレビに出てる。
らしい。
お金を払って観るコンテンツにおける表現者大野君は、
それはそれは図抜けている。と。
だから、コアファンはお金を払い続ける。直接課金。
分かる人には分かる。
お金を持っている方々に支持され続ける。
逆に稲葉君は、嫌いな人がほとんどいない一級品のテレビタレント。
でも彼の映画の興業収入はどうなの??と。
(彼らの映画よく知らないけど)
ということで、同じ「人気」でも、
「自分でお金を払う価値ある」熱狂的人気と、
「嫌いじゃないけどお金払うまでもない」人気、
の差は大きいなあ、ということを思ったしだい。