Afterコロナの移動論その3~本能的な移動欲求~

前回のエントリーでは、「不必要な移動の減少」というタイトルで書いた。

目的地に行くための「手段としての移動」はその必要性が選別されるようになり、不必要な移動が減少していくのではないか、という話。

今回は、その一方で当然ながら必ず必要な移動はあるし、むしろ人間には「本能的な移動欲求」があるのでは、ということを書いてみたい。

まずもって自分自身がその一人。基本的には家でじっとしていられないタイプ。用がなくても外に出たい。家で時間を過ごすのが何となくもったいない、と感じてしまうくらい。

ドライブも好きなので、単純に外に出たい、移動をしたい、という気分に駆られまくったコロナ禍。

例えばこの「ドライブ」とは、まさに移動自体が手段ではなく目的となっている行為。加速する重力を感じること、流れる景色を眺めること、自分の思いのままに車を操ること、そのすべてが楽しい体験だったりする。

この個人的な感覚を、やや肯定してくれる研究が最近発表された。
米国の大学の研究論文で、「人間の脳は、『移動』を『快楽』と捉えている」という発表である。
https://nazology.net/archives/60575

特に、移動距離が長く、多様性や新規性がある移動ほど、感じている幸福感がより高くなるとのこと。

日本は他の大陸国と比較すれば定住型の農耕民族かもしれないが、稲作が始まり定住型生活になる以前、人類は非定住の狩猟採集生活だったわけだから、人間の本能がそこに根付いているのかもしれないと思った。

新しい情報を知りたいと思う「新奇探索性」という傾向はドーパミンを分泌するというし、流れる景色、新しい景色を見ると、何らか新しい感情や新しいアイデアが思いつくこともある。

このように、目的地に行くための手段としてだけでなく、移動自体を楽しみたいという欲求は、これからも人間の脳を刺激し続けるはず。(と思いたい)

前回のエントリーで書いた「合理性からくる不必要な移動の減少」と、一方で今回のテーマである「人間の本能としての移動欲求」。

人間の合理性と本能のせめぎ合いは、どういう行動様式やトレンドとなって現れるのだろうかと考えると、例えばあえての「非合理的」な移動も増えるのでは?と思う。

これもまさに自分の嗜好性というか癖が考えの発端だけれど、自分は「クルマを運転している時、最短距離を選ばない」ということが多い。これと同様の傾向が、ひょっとしたら増えるかも?と。

今の時代、多くの人にとって、公共交通機関を使うときも、クルマを運転するときも、地図アプリやカーナビを使うことが当たり前。これらのツールは、最短距離、あるいは最短時間での移動経路を教えてくれる意味で、大変便利で手放すことはできない存在。

でも、不必要な移動が減少し、移動するときは「楽しむとき」というケースが増えた時、決して最短距離・最短時間の移動だけが正解ではなくなる。

つまり、移動すること自体の価値が貴重化し、「せっかく外出するのだから移動時間も中身の濃いものにしたい」と考える人も増えるのでは、という推察。

そうした場合、例えば、少し遠回りだが景色の良いコース、少し遠回りだがのんびり走れて同乗者との会話が楽しめるコースといった、従来基準で考えれば、ある意味非合理的な移動、というものが選択肢として入ってくる。

もともと「旅」とは、非合理なもの。気の向くままに遠回りや寄り道をすること自体が楽しい行為だったはず。旅といっては大げさだけれど、「移動」「外出」に関してもこの本来的な喜びの価値が、今後再評価されていくかもしれない。

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