天外伺朗著「『生きる力』の強い子を育てる」

嫁さんに薦められて読んでみた。
息子の教育は100%嫁さん任せ状態なので、あんまりこういうこと深く考えたことなかったけど、読んで良かった。
教育に対する意識が変わった。
あ、変わったというか、もともと意識がなかったから「教育を意識するようになった」が正しいww
息子の通う小学校は、まあ世間的に見れば普通の小学校なんだろうけど、どうも宿題が多かったり、型にはまった教育のようで、嫁さん的には不安なことが多いようだ。よくわかる。
大前提。
これからの日本で幸せに生きていくためには、今までの価値基準ではダメなのは明らか。
高学歴であれば幸せ保証が付与されるわけでは全くない。
極端にいえば父親である自分と同じような教育を受けて同じような成長をしたのでは、未来の社会ではダメ人間になってしまう。
自分が小さい頃に親や先生に言われたこと、家での過ごし方、遊び方などなど、自分が持っている想い出や成長プロセスを押し付けちゃだめだなって思っている。
すべて正反対なことを今の息子に体験させるべきだ、とすら思っている。社会が変わっているのだから。
なのになのに、日本の教育は何一つ変わっていない。大問題。
このままあの小学校に通わせ続けてもいいんだろうか??というほどの問題意識を持って読み進めた。
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以下、読書メモ
いい人生を送るには、「生きる力」が必要だ。
生きる力とは、自己実現に向かう力。
知識やスキルとかの表層的なものではなく、根本の人間力。
独創力だったり積極性だったり感受性だったり交渉力だったり決断力だったり。
たぶん人から教えられて身に付けられるものではないもの。歌詞でいうなら「教科書に載ってないこと」。
ここから本題。
脳の中でも知識や理性、後天的に習得できるものは「大脳新皮質」の働き。外側の脳。
それに対し、生きる力のコアにあるのは、脳の中でも人類が爬虫類時代までに発達した「古い脳」の働き。
この「古い脳」のほうをいかに健全に成長させるか、が生きる力を高める鍵。
「古い脳」を鍛えるには「引き出す教育」が絶対必要。
フローを体験させ、自らを肯定する力を自分自身で養う。
生きる力は自己肯定感(つまり自信?)に支えられている。
対して日本の公教育は長時間机に縛り付ける「与える教育」。全然ダメなのは明らか。
見た目には礼儀正しいふつうの良い子に成長して親も一安心。でもこれからの社会で生き抜けるの?って話だね。
(まあ、こういう良い子って自分のことだけど。。。)
与えられた教育で知識を詰め込まれても新皮質脳を高めるけど、これは生きる力にはならない。
外側からの強制で自らの欲求を押さえつけてしまい、自己肯定は破壊され、自己否定が高まってしまうから。
だからこそ、押し付けではない「引き出す教育」が大事なんだ。
「古い脳」を鍛えるには、まず「フロー体験」。
内的な動機で、ものごとに集中した状態のことを言う。
何の制約も我慢も押し付けもなく、自分の思うがままに何かに集中できる環境を与えてあげる。
できるだけ大自然の中で体をいっぱい使って。
ちょっと自分の思い出を振り返ると、
小1のころに家の裏山で毎日秘密基地を作ってたな。たぶんあれがフロー。
高校の文化祭で映画撮ってたのもかなりフロー。
結果、小さい頃からフローが身についた子のほうが自らの内的動機で学習ができるため、フロー体験の少ない子よりも、たとえ学習時間が短くとも、学力は高くなるという結果もあるそうだ。
フローの話ともうひとつ、「無条件の受容」。
これは話が深かった。
人は母胎から産み落とされることが、実は大変な苦痛。生まれてすぐ経験する苦痛。バーストラウマ。
つまり生まれていきなり生きる力の障害となる「自己否定感」を味わってしまうの。
だから、このトラウマを軽減させることが自己肯定力を高め、生きる力を成長させることになる。
バーストラウマの自己否定感を軽減させる術こそ、「無条件の受容」。
無条件の受容=叱らないとか放任とかではなく、
「全身全霊で子供と向き合い、100%の関心を注ぐこと」。
ただし何があっても優しく包み込めば良いわけでなく、ダメな時は叱る、関心を持って叱る。あと、過度に褒めすぎてもだめ。
関心を注ぎながらも、外部からの強制力を極力無くすってことかな。
ううん、それ難しい。。。バランス難しい。。。
よく褒めて伸ばすって言うけど、それは「自己否定感」がすでに強くなっている子供への対応。
自信を持たせて自己肯定に持っていく。
でも、「自己肯定感」がすでに強い子であれば褒めることすら必要ない。すべて受容。。って考え方。
で結局子供とどう接すればいいのかをまとめると、、、
関心を注ぎながらも、自分の価値観や経験を押し付けず、思い通りにさせる。特に何かに集中している時は絶対邪魔しない。
ただしダメなものはダメ。また、間違ってても出来なくても正解を教えたり助け舟を出す必要はまったくない。
うん、まあ、何となく今までもそうしてたけどね。理論を学んだって感じかな。