菅付雅信著「中身化する社会」

仕事の打合せで初顔合わせの人がいると、打合せの最中にその人の名前を検索して、googleの検索結果でどれくらい出てくる人なのか、あるいはFBでどんな投稿してる人なのか、とか何気に調べてたりする。
本著の前半の主旨は、そんな話。
第一印象とか、見た目が大事ってのが、ちょっと大事じゃなくなっているのかも。
目の前の人がどんな服装してるのかとか、あんま関係ないよなあ、と。
ソーシャルメディアを多くの人が使うようになり、
ファッションやクルマなどを使って自己表現を代替する必要がなくなってきた。
「中身」が可視化される社会においては、個人は、見栄とかムダなことにお金や時間を使う必要がなくなり、
衣食住すべてにおいてより本質を追求するようになってきた。
一方、企業もほうも広告によるイメージ操作が効かなくなり、より人格を持って生活者とコミュニケーションしていく手段をとる。
まあ、なんとなく納得はする。
いやいや、でもそんなことはないな。
ラグジュアリーファッションの衰退の原因として挙げているが、ちょっと話は別ではないか?
FBに積極的に投稿する自己表現旺盛な人は、相変わらずおしゃれな人が多いし、最近その人たちのオシャレ度が下がってきたとか、そんなことはない。
見た目やファッションも大事、でも本質的な中身こそ、やっぱりもっと大事、という本来当たり前なことが、ようやく当たり前になった感じ。
同様に、企業も広告によるイメージ操作が効かず、より本質的な部分で判断される、というのは、まあ、マクドナルドの凋落をみれば、まあその通りだよね。
SayからDoへ。ブランドは形容詞から動詞へ。その傾向はここに来てホント強くなってる。というか本来当たり前な方向に回帰している。
もはや一面的なイメージや流行に流されて大量消費される時代ではないわけで、
食べログやらAmazonリファラ―やら何やらで、評判が流通している社会では、金銭を得ることより評判を得ることのほうが豊かであるし、結果的にマネタイズできると。
最近、貨幣で交換される今までの経済連鎖の内側に、評判や信頼性といった人間関係で金銭を介さない経済圏がものすごく発展してきている気がする。最近すごく感じる。
「お金を稼ぐ」ではない働き方。お金を稼がずとも人のため社会のための行動をすることで、他人に評価され、ありがたがられ、物々交換的な経済活動で生きて行けちゃう。
ソーシャルキャピタルという概念だね、これ。

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