「考える」を考える

「何考えているか分からない人」

 

初対面の方は、僕に対してこんな印象をお持ちになる方が多いようです。

確かに僕は目や口などの顔のパーツが小さく、表情も豊かなほうではないですし、そもそも積極的に自己表現するタイプではありませんから、そう感じてしまうのも無理ありません。

私から発せられる情報量が少ないのでしょう。

 

けれど、何度かお会いしたり、徐々に親しくなると、この印象は無くなるそうです。何考えているか分かるそうです。笑 それはそれで、あまり嬉しくないですが。

 

でも、思いませんか?

第一印象で「何考えているか分からない」のは当たり前ですよね。

私のことを知らないわけですし、仮に私のことを知っていたとしても、頭の中までは見えないのですから。

人が何をどう考えているかは見えないんです。見えないものが分かるはずがありません。

 

そこで、ふと思うんです。「考える」という言葉は不思議な言葉だと。

「考える」は動詞です。動詞なのに見えない、って、不思議ではありませんか。

 

例えば、「食べる」も「走る」も動詞です。

だらしない食べ方も、変な走り方も、すべて見えます。見えてしまいます。

だからこそ、親は小さな子供に、行儀良い食べ方、速く走れる走り方を見せて、教えて、覚えさせることができます。

 

さらに、「食べる」や「走る」はその動きを分解して説明することができます。

「ご飯を食べる」という動きを説明するのあれば、左手に茶碗を持ち、右手に箸を持ち、箸でご飯をとり、ゆっくり口に含み、よく噛んで、飲み込む、というように順序だてて動詞を分解できるのです。

 

同じように「考える」という動きを分解して説明することは、かなり難しいと思うんです。

説明できなくもないですが、かなり人ぞれぞれ、ケースバイケースになってしまうのではないでしょうか。

 

食べ方や走り方は教わっても、「考え方」って、ちゃんと教えてもらったことがなく、分解して理解することもできない、なんとも不思議な動詞です。

 

だからこそ「考える」について考えることは、とても有意義だと思うのです。

 

ちなみに、「考える」という動詞を辞書で引くと、

・実情を調べただす。吟味する
・思考をめぐらす。あれこれと思量し、事を明らかにする。思案する

とあります。うーん、分かったような、分からないような、ですよね。

 

以前、会社のメンバーの自主勉強会で、「考えるとは」? という質問を投げかけたことがあります。

 

考えるとは、思いをまとめること

考えるとは、何らかの答えを出すこと

考えるとは、書くことであり、話すこと

考えるとは、情報を調べて分析すること

考えるとは、分解すること

 

どれも間違いではないでしょう。

人それぞれ「考える」に対する考え方は違います。

 

でも、その時僕は思いました。せめて同じ会社で同じ仕事をするメンバー同士、「考え方」は共通認識しておいたほうが良くないか? と。

たとえメンバーそれぞれの「考え方」が違うとしても、互いの「考え方のクセ」「思考回路」は、理解しておいたほうが仕事は上手く進むと思ったのです。パソコンと同じで、機種は違っても基本のOSが共通でないと、仕事にならないのです。

 

それからというもの、先ほどの「食べる」の分解のように、今度は「考える」という動詞を分解して説明できるように「考える」の手順化することを始めました。もちろん、この手順化も人それぞれ違います。

例えば、「考える」の手順はこうです。

①答えを出すべき問題を決める

②その問題に関係する情報を集める

③集めた情報を細かく調べる

④情報同士の違いを見つける

⑤その違いから言えることを発見する

⑥発見したことが納得できるか、説得材料を探す

⑦発見したことを、短い言葉にする

⑧その言葉を、分かりやすく人に伝える

 

とかとか。

もちろん、これが正しいかどうかは分かりませんが、これがひとつの「考え方」であることは間違いありません。考え方は見えないものですし、人それぞれなのですから。

「考え方」は何パターンあっても良いと思うのです。それが「考える」という動詞の偉大さであり、考えることが何よりも人類の成長に繋がっているのです。