井端弘和/荒木雅博著「アライバの鉄則」

いまだに強かったあの頃の落合野球を思い出すことがある。

なぜ、これほどまでに記憶の深くに存在し続けるのだろう。
それは今の中日の野球がつまらないから?弱いから?(多少は強くなってきたけど)

確かに強いほうが観ていて楽しいに決まっている。

けれどあの頃の落合野球には、強いとか弱いとかとははまた違う、何か別次元の面白みがあった。

きっと、記憶の量は、エピソードの量だ。

意表を突いた開幕投手だったり、右投手なのに左の代打に右を送ったり、なにより日本一を完全試合で飾る目前で投手交代したり、アライバをコンバートしたり、、、

どれもこれも、監督の「采配」「判断」に関するエピソード。
記憶に残るのは、選手のプレーの映像以上に、そんな圧倒的に深みのある戦略性だ。

「アライバ」という存在もまた、その戦略性の象徴だったと思う。

 

状況をフラットに把握し、背景と判断とその結果が、ひとつのストーリーとなって記憶に残る。

「エピソード」とは、作ろうと思って作るものではないが、後々エピソードになる出来事は、必ずこれまでの前例や常識を超えた判断から生まれている。

それが人の記憶に刻まれる。